勉強は嫌いでも学ぶことは楽しい、
という人たくさんおられます。
「勉強」と言うイメージは、
学校に行って強制的に学ばされている感じを受けますが、
「学ぶ」というのは、
自由で好きな学問を自分のペースで勉強できるイメージもありませんか?
爺やはどちらかと言うと勉強は好きではありません。
とりあえず大学は出ましたが入るのは親にお金をだしてもらい、
大学を出るのは やっとこ すっとこ の卒業って感じでしたよ!
なぜ分かるの? って言うと、
3年終了時点では卒業見込みが出ないぎりぎりの単位しか取れなかったし、
4年の時は必修科目を一教科落としていたから留年決定だったのですが、
卒業研究室の(俗に言う 卒研)先生のお目こぼしで卒業できたのです、
と言うよりも卒業させていただいたのです。(感謝です。)
今ではそんなことダメなんだろうけどね?
でも、爺やは社会に出てから学ぶことが多かったですよ。
社会に出てからの勉強と言いますか、
学ぶことの大切さを知ったように思いますね。
つまり、社会に出れば強制的に勉強をさせられているのではありませんが、
その仕事でお給料をもらうのですから、”やらなければならない” 或いは、
”やらざるを得ない必然性” を伴うわけですよ。
学校での勉強は勉強しなければ結果的に自分に跳ね返ってくるだけですが、
仕事となると自分だけでの問題では済まなくなるのが当たり前で、
会社の人や一緒に仕事している仲間たちや、
取引先にも迷惑をかけるようになるかもしれないという、
自分だけの問題にとどまらないのです。
だから ”やらざるを得ない必然性” が生じてくるのです。
「あれが分からない」 「これが分からない」 などと、
いつまでも新入社員気分では済まされなくなっていくのです。
社会に出てから勉強すること学ぶことは延々に続くのです。
そんな仕事を通しながら 勉強は嫌いでも 学ぶことは楽しい、
という人はたくさんおられます。
つまり、仕事を通して雑学や趣味や哲学などを考えたり、
仕事とは全くかけ離れたことなどを考えたり学んだりすることも、
楽しいかもしれません。
「学校で勉強してきたことは、
社会に出て勉強していく為の勉強です。
本当の勉強はこれからです。」
と、大学の卒業式での総長の祝辞で話されたことを、
何となくですが爺やの思い出に残っています。
社会に出てからの学ぶ姿勢は大切ですし、
科目にとらわれない自由で柔軟な学ぶ姿勢は、
「勉強は嫌いでも学ぶことは楽しい」という人がたくさんおられますし、
爺やもその中の一人であり続けたいですね。
ただ、社会に出る前にもっと勉強しておけば良かった、
と思う人は爺やだけではないでしょうし、
現役の生徒さん学生さんに後で悔やまないようにね と、
一言付け加えておきましょう。
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