なぜだろう、どうしてだろう?の好奇心って幾つになっても大切!

時として なぜだろう、どうしてだろう?

の好奇心ってあるものです。

 

その好奇心は幾つになっても大切ですね!

 

自慢じゃないけれども、

爺やなんかこの年になっても分からないことばかり!!

 

分からないことばかりで困っちゃいます!

 

これはどういう意味かな? と言う類の意味は、

今は簡単に調べることが出来ますよね。

 

今の若い人たちはスマホなどの便利機器で調べることが出来ますが、

辞書を頼りにする事ってあるのでしょうか?

 

 

それに、「なぜ」「どうして」と言う類の意味は、

単語などの意味の類とは違うから、

簡単に調べることはできませんよね。

 

場合によっては定まらない答えや、

或いは答えが無い場合だってあり得るかもしれません?

 

それが世代によっては違う答えだったりもします。

 

また、子供にはあれしてはダメとかこんなことしちゃダメとかで、

注意したり説き伏せたりすることも有ろうかと思いますが、

そんな時に子供は「なぜ」ダメなの とか、

「どうして」ダメなの とか聞き返したりはしませんか。

 

爺やは子供が小さい時には 古い昔の言葉を引用して、

ダメなものはダメ! 理由は無い! ダメなものはダメ! と、

我が子をいさめた時もあります。

 

ま、それは横に置いておいて、

 

仕事などや生活事或いは歴史や自然現象、

はたまた人の行動や認識などなどにおいて、

なぜだろう? どうしてだろう? と好奇心を持ちながら、

問題視や疑問視するのって大切なことかもしれません。

 

 

普段の生活の中で常日頃から「なぜだろう」「どうしてだろう」、

などと思って生活されておられる方はいらっしゃらないとは思いますが、

なにかの偶然で ふっ? と思う事は有ろうと思います。

 

そんなの当たり前で解決されるのも有りかもしれませんが、

それを「なぜだろう」「どうしてだろう」と考え、

自分なりの答えを自らの経験や思考などにより導き出すのも有りだと思うし、

思考することって大事な事かもしれませんよね。

 

正解の無い答えだって大切なこと と爺やは思うのです。

 

しかし、「なぜ」「どうして」って言う、

疑問や好奇心があるうちは良いかもしれませんが、

爺やなんかそうした疑問や好奇心も、

のうちに失せていくようになるのかもしれません。

 

そうならないようにしたいのですがね。

 

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